新潮文庫・平岡篤頼訳・1972年刊行

華やかなパリ社交界に暮す二人の娘に全財産を注ぎこみ屋根裏部屋で窮死するゴリオ爺さん。娘ゆえの自己犠牲に破滅する父親の悲劇。(以上、新潮社HPより)

優れた小説とは「地理」である

とにかく情報量と熱気がすごい。

話の本筋と関係のないディテールにこそ、それが色濃く出ている。

どこそこの道に夾竹桃が並んでいる、屋根裏部屋がある建物正面は粗石造りである、どこ地方は赤ぶどうがよく採れて、どこ地方は小麦畑が一面にある……など、とにかく地理や物体の描写がアツい。生き生きしている。

村上龍がどこかで

「バルザックの小説を読むと『書こう』という気持ちになる。難しいことは考えず、とにかくたくさん書けばいいではないかと」

という意味のことを残しているが、全くその通りだ。

「人物再登場」はそんなにありがたがらないでよい

人物再登場の手法は、画期的であることは間違いないけど、別に現在の私たちの感覚で言えば、印象の強いものではない。

ただ、とにもかくにも、フランス社会を書き尽くしてやる!という意気に合致した手法であったんだろうね。

ゴリオ爺さんの「嘆き」に震える

こんな人生は嫌だ、と正直思ったが、ゴリオ爺さんは彼なりに「幸福」というものを作り出し、それを感じたかったのだろう。

最後のラスティニャックの叫びに救いは見られた。

一老人の本当に哀しい、嘆かわしい人生の努力が、別の形で伝わったのだ。

(おまけ)題名……

『ペール・ゴリオ』という翻訳題名で出している出版社もあるが、うーん、もうちょっといい題名にしようとしなかったのかな……。