河出文庫・佐々木徹 訳・2011年7月刊行
テムズ河口の寒村で暮らす少年ピップは、未知の富豪から莫大な財産を約束され、紳士修業のためロンドンに旅立つ。巨匠ディケンズの自伝的要素もふまえた最高傑作。文庫オリジナルの新訳版。
ロンドンの虚栄に満ちた生活に疲れた頃、ピップは未知の富豪との意外な面会を果たし、人生の真実に気づく。ユーモア、恋愛、友情、ミステリ……小説の魅力が凝縮されたディケンズの集大成。
「面白い」ばかり言っていて申し訳ないのだが、面白いのだ
前回の『高慢と偏見(自負と偏見)』のときから、「お前そればっかり言っているやんけ」と文句がつけられそうだが、この『大いなる遺産』も最高レベルで面白かった。
『赤と黒』のときも同じようなことを書いたが、ディケンズやジェイン・オースティンや、スタンダールやバルザックだけ読んでいれば、読書人生は十二分に幸福なのだ!
はい、おしまい!
……という訳にはいかないだろうが、冗談抜きで、18・19世紀という小説の黄金時代の、永遠に色あせない海外の名作古典小説だけを読んでいれば、それでまったく求めるものはないのだ。
20世紀以降の、真面目で難しい現代小説も、駄目ではないのだけれど……。
沁みる……人間描写
小説家ディケンズの特徴といえば、その旺盛な執筆量やストーリーテリングもさることながら、やはり人物描写の機微や深さに関心させられることが多い。
主人公の少年ピップは、テムズ河口の寒村で癇癪持ちの姉と義兄のジョーと暮らしているのだが、このジョーという人が、なんともいいキャラなのだ。
最初は田舎の、お世辞でも裕福とはいえない所帯の、何物も持ち合わせていない弱々しい子どものピップと、気は優しいが冴えないジョーの、微笑ましくみじめな組み合わせだ。
それが、ひょんなことから莫大な遺産を約束されたピップは、ロンドンに紳士修業のために旅立つことになる。
何年か経ち、清濁併せた人生経験を積んだピップは、ジョーと再会するわけだが、ジョーの経済的・社会的な境遇は特に変わっておらず、ジョー自身の性格も変わってはいない。
ピップも自分自身の心根は子どもの頃と変わっていないと思っていたのかもしれないが、その時の二人の会話や空気感の出し方が、実に絶妙なのだ。
お互いに、再会できてうれしいはうれしいのだけれど、何とも手持ち無沙汰というか、居心地の悪いような気まずさ……。
ジョーのピップに対するうっすらと存在する拒絶感、咎めるような態度……。
ああ……何か分かるなぁ……。
160年以上前に書かれた小説で、この分かり味の深さはやばい。
時薬(ときやく)――時間がたてば改善されたり治癒されたりすることはたくさんあるけれど、逆に断絶された時間の長さが、人と人の関係や愛情を損ねてしまうこともある。
きちんと大学を卒業して、都内のそこそこの大企業に入社して何年か揉まれたあとに、地元の結婚して子供もいる友人と会って話すときの妙なよそよそしさ、とげとげしさ、というと分かってもらえるだろうか。
どうにもならないし、どちらが悪いということでもないのだけれど、苦いものだよなぁ……。
でもやっぱり、ジョーの優しさ、愛情の深さは変わっておらず、ピップが大ピンチに陥り昏睡状態にあった時に、つきっきりで看病をしてくれるのだ……。
そうだよな。本心が、優しい本心が出しづらい状況やタイミングってあるものな。
男女の恋愛や、ミステリ要素や、因果な復讐譚なども書かれていて、それはそれで十分に面白いのだけれど、私としては友情の美しさといったものが、いろいろな形で表現されていたので、それにもっとも感じ入ったのだった。
ディケンズの小説はストーリー展開がご都合主義だったり不自然であるという批判が昔からあったようで、正直読んでいてそう思えないこともなかったのだが、それが何か明確な瑕(きず)だという印象にはならなかった。
小説の黄金時代に咲いた、涙あり笑いありの、心に沁みる名作小説だ。
それでいいのだ。
「なあ、ピップ、いいかい、お前と俺とは親友じゃないか。ほんとに、お前が馬車に乗れるぐらいよくなったら、そりゃあ、うんとこさ楽しかろうな!」

