岩波文庫・ 八木敏雄 訳・2004年8~12月刊行
巨大な白い鯨〈モービィ・ディック〉をめぐって繰り広げられる,アメリカの作家メルヴィル(1819―1891)の最高傑作.本書は海洋冒険小説の枠組みに納まりきらない,法外なスケールとスタイルを誇る,象徴性に満ちあふれた「知的ごった煮」であり,およそ鯨に関することは何もかも盛り込んだ「鯨の百科全書」でもある.新訳(全3冊)
<モービィ・ディック>との遭遇をまえにして,さまざまな国籍の多岐にわたる人種をのせた,アメリカを象徴するような捕鯨船<ピークオッド号>の航海はつづく.ほかの船との<出あい>を織りまぜながら,鯨と捕鯨に関する<百科全書的>な博識が,倦むことなく,衒学的なまでに次から次へと開陳されていく.
「モービィ・ディックだ!」――エイハブ船長の高揚した叫び声がとどろきわたった.復讐の念に燃え,執拗に追い続けてきたあの巨大な白い鯨が,ついに姿を現わしたのだ.おそるべき海獣との三日間にわたる壮絶な〈死闘劇〉の幕が,いよいよ切って落とされる.アメリカ文学が誇る〈叙事詩的巨編〉.(以上、岩波書店HPより)
一つの小説の、一つの舞台に、世界全体を凝縮させた
この現実世界とはまったく違う世界を創造し、それを言葉をもって創造しよう、というのは、物書きならだれでも一度は夢見て、挑戦しようとすることだろう。
古くは、トールキンの『指輪物語』が好例だろう。
上橋菜穂子の『精霊の守り人』なども、そうだろうか。
ゲームだが、FFXの世界観の構築は結構好きだった。
で、『白鯨』なのだが、一言でいうと、捕鯨船<ピークオッド号>という1隻の船に世界のすべてを盛り込んだ、という小説だ。
まったく違う世界を創造した、ということとは違うが、1隻の船の中に「鯨」というフィルターを通して、この世界のありとあらゆる情報を詰め込んでしまったので、密度が高すぎてとんでもないことになっている。
違う世界を創造した、というよりも、違う世界が創造される直前の高密度・高エネルギーの状態が、そのまま小説になっているので、小説内の筋道もとてつもなく「ゆらいでいる」。
まったく話は進まないし、小説の展開とまったく関係のない雑学が延々とつづられる、かと思えば急に戯曲が始まる……。
イシュメールとクイ―クェグの同性愛的関係も無視できない。
どうなっとんねん、と思うのも無理はない。
無理はないが、そりゃ物理的に仕方ないだろう。
地球を1隻の船にまで圧縮しているのだから、そりゃあ、高密度・高エネルギーでゆらいでいるし、当然、想像を絶する重力が生まれブラックホールとなり、すべての読者を吸い込むのだ。
読んで面白い、面白くない、という次元ではないのだ。
読んだらブラックホールに吸い込まれてしまって、粒子1粒も残らないのである。
読書でそんな体験ができるのだから、それはもう、挑戦しない訳にはいかないでしょう?
神話を読む
『白鯨』が、多分に象徴的であり神話的であるというのは、よく言われていることだ。
アメリカは若い国であり、国民統合のための拠り所がなかったので、『白鯨』がアメリカの神話として措定されたのだ……という批評も読んだことがある。
『白鯨』は神話だと、そう考えてしまうと、合点がいくことがある。
日本人で『古事記』と『日本書紀』を通読している人がほとんどいないように、アメリカ人で『白鯨』を通読している人もほとんどいないんだろうな……と考えると、
全然読まれないし、読みこなせない、この『白鯨』という作品も、まこと神話に違いないと納得ができる。
(皮肉で言っているわけではない)

