新潮文庫・1997年10月刊行

「人が死ぬのって、素敵よね」彼女は僕のすぐ耳もとでしゃべっていたので、その言葉はあたたかい湿った息と一緒に僕の体内にそっともぐりこんできた。「どうして?」と僕は訊いた。娘はまるで封をするように僕の唇の上に指を一本置いた。「質問はしないで」と彼女は言った。「それから目も開けないでね。わかった?」僕は彼女の声と同じくらい小さくうなずいた。(本文より)

「今はまちがった時間です。あなたは今ここにいてはいけないのです」しかし綿谷ノボルによってもたらされた深い切り傷のような痛みが僕を追いたてた。僕は手をのばして彼を押し退けた。「あなたのためです」と顔のない男は僕の背後から言った。「そこから先に進むと、もうあとに戻ることはできません。それでもいいのですか?」(本文より)

僕の考えていることが本当に正しいかどうか、わからない。でもこの場所にいる僕はそれに勝たなくてはならない。これは僕にとっての戦争なのだ。「今度はどこにも逃げないよ」と僕はクミコに言った。「僕は君を連れて帰る」僕はグラスを下に置き、毛糸の帽子を頭にかぶり、脚にはさんでいたバットを手に取った。そしてゆっくりとドアに向かった。(本文より)(以上、新潮社HPより)

歴史と意識が往還する小説

作者の、いわゆる「2つの世界を往還する物語」というと、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『海辺のカフカ』などが挙げられようが、この作品もそうであろう。

むしろ今作では全登場人物が2つの世界を往還しているともいえる。

向こうの世界に行ったまま帰らない人物も多くでた。

抽象的なものを抽象的なまま異化させることに成功している。

画期的な作品だろう。

加納クレタ・マルタの姉妹は、クミコとその姉と同一なんだろうな。

「失業者の文学」

もうとっくにどこかの評論家が指摘しているだろうけど、村上春樹の小説は「失業者の文学」としても読めるよね。