岩波文庫・松平千秋 訳・1994年9月刊行
一○年にわたるトロイア戦争が終結.オデュッセウスは,帰国の途中嵐に襲われ,さらに一○年の漂流冒険ののち,神々の援けを得て二○年ぶりに帰還,留守の間妻を苦しめていた悪逆な求婚者たちを討ち亡ぼす.『イリアス』とともにヨーロッパ文学の源泉と仰がれる,劇的な盛り上りに満ちた大英雄叙事詩.新たな訳者による新版.(以上、岩波書店HPより)
古びることの全くない、その瑞々しさ
物語の展開も、登場人物の言動も、見せ場も、皆アクティブである。
出てくる人物が皆、打算的であり、エゴイストであり、インモラルである(笑)。
「ああ情けない、一体どういう人間の住む国へ来たのであろう。乱暴で野蛮で正義を弁えぬ輩であろうか、それとも客を遇する道を知り、神を恐れる者たちであろうか」
「こういうと、堅忍不抜の勇士オデュッセウスは、(中略)いつもの如く胸中に抜け目なく策をめぐらしつつ、出かかった言葉を呑み込み、真実を語らずいうには」
以上は作中の引用だが、何ともまあ、皆が皆、人間臭いのである。
訳者の方が相当達者な印象も強いが、人物が皆、超然としていないし、苔むしてもいない。
現代人のように、愚かで、瑞々しい。
物語の典型(モデルケース)に、ありがたく思う
『オデュッセイア』といい『イリアス』といい『聖書』といい『ギルガメシュ叙事詩』といい『マハーバーラタ』といい、すべて物語の典型(モデルケース)である。
しかし、そのどれもが、「型破り」な物語であり、色あせない名作文学だ。
『オデュッセイア』にしても、英雄オデュッセウスは妻ペネロペイアに言い寄る者たちを皆殺し・殺戮する。
読んでて「ちょww殺し過ぎwwww」と思ったくらいだ。
どこが英雄なんだと。
ペネロペイアにしても、結構一筋縄でいかない人物像に描かれている。
どこか、悪徳の源泉のような雰囲気をまとっている。
ナウシカアーは可愛かった(真顔)。
太古の、物語の始祖たちが、こうした常識や良識に縛られない感覚を、現代に生きる人々に与えているという事実のみで、まこと、ありがたく思うべきだろう。

