岩波文庫・辻直四郎 訳・1977年8月刊行
単純可憐の中に女性の誇りを失わぬシャクンタラー.指環と呪詛をめぐるこの戯曲は,カーリダーサの作品中最も有名なものであるばかりでなく,サンスクリット劇中最大の傑作といわれる.ゲーテの『ファウスト』のプロローグに影響の跡を留ていることはつとに知られるところである.訳者による「サンスクリット劇入門」を併収.(以上、岩波書店HPより)
サンスクリット劇とは
作者のカーリダーサは4世紀の後半から5世紀の前半を生きたといわれている。
古代インドのグプタ朝の詩人・劇作家である。
『シャクンタラー姫』はカーリダーサの戯曲中、最も有名なものであり、サンスクリット劇の中の最大傑作とされている。
ゲーテの『ファウスト』のプロローグに影響を与えたというのだから……本当に大昔の劇作である。
まだ、神と精霊と人間の距離がずっと近かった時代の話だ。
現存する最古のサンスクリット劇は2世紀のものであるらしい。
しかし、本当に早くからその理論や形式は発達していたそうだ。
演者の仕種や身振りは細かく研究され、一挙一動の意味が細かく規定されていた。
またサンスクリット劇は、例外なくハッピーエンドをもっていた。
そして、サンスクリット劇の台詞は韻文と散文を交えており、韻文は完全に美文体である。
サンスクリット劇はやがてイスラム政権の下に衰退し、滅亡の道をたどる。
ここから、言葉の美しさが誕生した。美しい言葉が誕生した
ドゥフシャンタという名の王と、仙人の養女シャクンタラーの恋物語である。
紆余曲折・波乱ありの展開だ。
あらすじについては、他の媒体の情報も得て事前に把握しておいた方がいい。
さすがに4~5世紀のインドの、サンスクリット語の劇なので、台詞をただ読むだけではストーリーを理解できないことになるかもしれない。
私がこの作品を読んで言いたいことは一つだけで、台詞の韻文の箇所の美しさがえげつないのだ。
翻訳者の辻直四郎氏は1899年~1979年に生きた言語学・インド文学の大家だ。
あの本狂いなら誰もが崇拝する東洋文庫の理事長も務めた。
まぁ……翻訳が大変達者でいらっしゃるのだ。
やはり昔のインテリは非常に賢くてセンスもいいのだな。
「苦行にはげむ 人々の 正しき勤め つつがなく 行わる見て 君しらん、弓弦(ゆずる)の擦れの 痍(きず)あとの しるきなが腕 いかばかり 民安らけく 護るかを。」
「シャイバラ(池の面に拡がり、蓮に絡まる水草)に まつわれつつも はちす花 見る目うるわし、月の面(も)に 浮ぶまだらの 暗けれど さやけき光 添いまさる。木の皮衣 きてさえも たぐいなよびし この乙女 あてにしみらに 魂とかす。ことにめでたき 姿には 何か飾と ならざらん。」
カーリダーサが『シャクンタラー姫』を書いたのが4世紀の後半から5世紀の前半のいつかだとして、日本はそのころ古墳時代である。
そんな太古の時代の、あろうことか遠い異国のサンスクリット語で書かれた物語なのだ。
日本語で翻訳されて、現代の人がたやすく読めていること自体が奇跡のようなことなのに、その言葉の美しさもまた、奇跡的なのだ。
文化や芸術は、こうして幾重にも奇跡をもたらしてくれるのだ。
まこと、ありがたい話である。
「王のこころは 民草の 幸にひたすら 向けられよ、弁才の神 サラスヴァティ― 学ある者に ほめられよ、また願わくは わがために 輪廻(りんね)の絆 断ちたまえ、あがめあまねく あつまれる 自生(じしょう)・自在の シヴァの大神。」

