新潮文庫・神西清 訳・1967年8月刊行
急変してゆく現実を理解せず華やかな昔の夢におぼれたため、先祖代々の土地を手放さざるを得なくなった、夕映えのごとく消えゆく貴族階級の哀愁を描いて、演劇における新生面の頂点を示す「桜の園」、単調な田舎の生活の中でモスクワに行くことを唯一の夢とする三人姉妹が、仕事の悩みや不幸な恋愛などを乗り越え、真に生きることの意味を理解するまでの過程を描いた「三人姉妹」。(以上、新潮社HPより)
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「弱さ」について
創作家は、チェーホフを好むものだ。
映画『ドライブ・マイ・カー』ではチェーホフ劇が出てくるし『1Q84』でもチェーホフが引かれている。
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村上春樹はチェーホフもドストエフスキーも好きなのだろう。
太宰治もチェーホフを敬愛していた。
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そう認めたがらないかもしれないが、チェーホフ作品の持つ「弱さ」の魅力に、感じ入っているのではないか。
確かに、言葉の「強さ」が秀でている小説や戯曲があったとして……何か鼻白むものがある。
言葉の「強さ」は、不幸を撥ね返すかもしれないが、不幸を招くことも多い。

ほのかに見える「誇り」
チェーホフの作品では、特段の出来事は起こらないとよく言われる。
それは、厳しい自然環境のロシアの、「社会」や「世間」の中で生活していくことだけで、それを淡々と描写するだけで、十分に差し迫った叙情が生まれるということなのだろう。
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そして自分としては、登場人物の行動や台詞の端々に、一種の「誇り」を垣間見た。
政治的な文脈に埋め込む気はないが、ほのかに、ロシアの国民性が見えた気がした。
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