新潮文庫・1969年9月刊行
人はいかなる時に、人を捨てて畜生に成り下がるのか。中国の古典に想を得て、人間の心の深奥を描き出した「山月記」。母国に忠誠を誓う李陵、孤独な文人・司馬遷、不屈の行動人・蘇武、三者三様の苦難と運命を描く「李陵」など、三十三歳の若さでなくなるまで、わずか二編の中編と十数編の短編しか残さなかった著者の、短かった生を凝縮させたような緊張感がみなぎる名作四編を収める。(以上、新潮社HPより)
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結晶のような美しい文体
谷崎潤一郎の『春琴抄』とはまた質が異なるが、日本の名文のモデルとしてよく挙げられる小説である。
「山月記」は10ページ足らずの掌編で、再読だが、いい小説だ。
身につまる、身につまるが、その作劇的・道化的なナルシシズムがそれでも読み取れる、その小説のメッセージよりも、彫琢された文体に敬意を示すことが、作者への弔いになるだろう。
換骨奪胎が素晴らしい
漢文の素養が活きた文体ではあるが、堅苦しく読みにくいということはなく、むしろリーダビリティに優れている。
この漢文・古典からの換骨奪胎の妙は、中島敦が持つ特有の才能であろう。
(誰がという意味ではないが)西洋小説からの粗悪な輸入品のような文章とは隔絶したものがある。