新潮文庫・江川卓 訳・1971年11月刊行
1861年の農奴解放令によっていっさいの旧価値が崩壊し、動揺と混乱を深める過渡期ロシア。青年たちは、無政府主義や無神論に走り秘密結社を組織してロシア社会の転覆を企てる。――聖書に、悪霊に憑かれた豚の群れが湖に飛び込んで溺死するという記述があるが、本書は、無神論的革命思想を悪霊に見たて、それに憑かれた人々とその破滅を、実在の事件をもとに描いたものである。
ドストエフスキーは、組織の結束を図るため転向者を殺害した“ネチャーエフ事件”を素材に、組織を背後で動かす悪魔的超人スタヴローギンを創造した。悪徳と虚無の中にしか生きられずついには自ら命を絶つスタヴローギンは、世界文学が生んだ最も深刻な人間像であり“ロシア的”なものの悲劇性を結晶させた本書は、ドストエフスキーの思想的文学的探求の頂点に位置する大作である。(以上、新潮社HPより)
知識や教養があればあるほど足元からひっくり返される小説
ドストエフスキーの小説は本作と『カラマーゾフの兄弟』と『地下室の手記』を読んだが、衝撃度では本作が一番だ。
トーマス・マンの『魔の山』を読破した時、「ああ、これが第一次世界大戦前の、つまり近代までの西洋文明のあらましを、すべて読みはしたのだな」と思ったんだよね。
それくらい、まあ膨大というか、ありとあらゆる情報が詰め込まれた小説だったので。
でも『悪霊』を読んで、また文明や社会というものがてんで分からなくなった。
無論、こうした足元からひっくり返される体験をするというのが、文学を読むことの醍醐味であることは言うまでもない。
ずいぶんと「キャラ立ち」の多い小説。想念がプロットを突き進んでゆく
スタヴローギンの人物像はやはり不気味なものを覚える。
現代の視点で読むと、結構「ブラフ」だったり「こけおどし」に思えることもあるんだけど、やっぱり看過できないキャラクターだった。
ステパン先生が、物語の終盤、後始末みたいなことをしながら死んでいくことに憐憫の情を覚えた。
というか、他のキャラクターが好き勝手し過ぎ(笑)。
みんなもっとステパン先生に感謝すべきだ。
物語のプロットの進み方は、唐突であったり、読んでいて納得感が生まれないことが正直多かった。
基本的にはかなり難しい小説だとは思うのだけど……
これを読んでいた当時の自分は、今以上に鬱屈した人間だったので(笑)、ほとんどの登場人物の陰鬱な想念と呪詛が、観念的に物語を進めていくのを、ある種心地よく鑑賞していけたのだった。
