新潮文庫・高見浩 訳・2020年7月刊行

老漁師は、一人小舟で海に出た――。ノーベル文学賞をもたらした最高傑作、待望の新訳。

八十四日間の不漁に見舞われた老漁師は、自らを慕う少年に見送られ、ひとり小舟で海へ出た。やがてその釣綱に、大物の手応えが。見たこともない巨大カジキとの死闘を繰り広げた老人に、海はさらなる試練を課すのだが――。自然の脅威と峻厳さに翻弄されながらも、決して屈することのない人間の精神を円熟の筆で描き切る。著者にノーベル文学賞をもたらした文学的到達点にして、永遠の傑作。(以上、新潮社HPより)

下世話な話をしよう

『老人と海』は、分量が短い小説だ。

現代は、娯楽が多く、小説を読む以外にもいろいろな媒体があるため、読書にかけられる時間は限られるだろう。

そもそも現役世代は仕事や家事で忙しく、余暇時間自体が少ない。

そういった中でも私は、より多くの人に小説、特に海外小説を読んで頂きたいと思ってはいるのだ。

そうなってくると、やっぱり短い小説をオススメするのが効果的なのだ……。

もちろん、短ければいいというものではない。いいというものではないが、『老人と海』は間違いなく名作であり、何度読んでもまた別の魅力を見出すことができる。

短い分量の海外小説で、他にオススメするものといえば、カミュの『異邦人』や、カフカの『変身』、ポール・オースターの『ガラスの街』などが挙げられる。

日本の小説とは違った世界観を楽しんでくれればと思う。

ヘミングウェイはスタイリストだ

ヘミングウェイは「文体家(スタイリスト)」だ。

「ときどき話し声も伝わってくる。だが、大半の舟は物音を立てず、ただオールが水を掻く音しか聞こえない。湾口を出ると舟はバラバラに散って、それぞれに、ここぞと頼む漁場に向かってゆく。」

「とにかく、風はおれたちの友だちだな、と老人は思った。もちろん、場合にもよるが、と頭の中でつけ加える。そして広い海には味方もいれば敵もいる。それからベッドだ。ベッドは味方だぞ。素晴らしいんだ、ベッドってやつは。」

ヘミングウェイの文体は実に彫琢されており、文章を書く者なら誰でも参考になる。

私としてはこういう文体が一番好きということではないのだが、いくら称賛してもし過ぎることのない、文章の宝石だ。

アチェベの『崩れゆく絆』や、クッツェーの『恥辱』の文体と似たものを覚えた。

ヘミングウェイの文学は、アフリカ文学と何か通じるものがあるのだろうか。

また、ヘミングウェイはその生き方においても「活動に凝る人(スタイリスト)」だった。

「いちばん筆が進むのは恋をしているときだな」と豪語し、31も年の離れたイタリアの旧家の娘に一目惚れしたりする。

旅行を愛した冒険家でもある。

だが、二度の飛行機事故などによる脳や身体への打撃により、晩年は躁鬱症や幻覚に苛まれ、遂には愛用のショットガンで自ら、61年の人生に終止符を打った。

名作を、距離を置いて読む

そんなこと言うなや、と言われそうだが、私は別にヘミングウェイが好きな作家ではない。

ヘミングウェイがライバル視していた、同時代のアメリカ人作家フォークナーの方が好きではある。

評価できないとか、創作家として劣っていると思っている訳では決してない。

ただ単に、私の趣味とは違うだけだ。

それでも『老人と海』の、噛めば噛むほど味が出るような文体と、その作品の情景は惚れ惚れするものだと断言できる。

思うに、あまりに愛好し過ぎていたり、敬慕が度をこえた作品や作家との接し方は、ピントの合った感想を出しにくいんじゃないかと感じる。

盲信すればするほど、その対象が見えなくなるというか。

『老人と海』に関しては、いい距離感での読書体験ができたと思う。

「海」の美しさや寄る辺のなさがよく伝わってきたのだ。近すぎて溺れることはなかった。

ヘミングウェイの老人と海