新潮文庫・小林正 訳・1957年2月、1958年5月刊行

貧しい生まれの美青年が燃やす権力への野心。19世紀フランス文学の革命的名著。

製材小屋のせがれとして生れ、父や兄から絶えず虐待され、暗い日々を送るジュリヤン・ソレル。彼は華奢な体つきとデリケートな美貌の持主だが、不屈の強靱な意志を内に秘め、町を支配するブルジョアに対する激しい憎悪の念に燃えていた。僧侶になって出世しようという野心を抱いていたジュリヤンは、たまたま町長レーナル家の家庭教師になり、純真な夫人を誘惑してしまう……。

『恋愛論』の著者が描く情熱の犯罪。実在の事件を元にした歴史的名作。

召使の密告で職を追われたジュリヤンは、ラ・モール侯爵の秘書となり令嬢マチルドと強引に結婚し社交界に出入りする。長年の願望であった権力の獲得と高職に一歩近づいたと思われたとたん、レーナル夫人の手紙が舞いこむ……。実在の事件をモデルに、著者自身の思い出、憧憬など数多くの体験と思想を盛りこみ、恋愛心理の鋭い分析を基調とした19世紀フランス文学を代表する名作。(以上、新潮社HPより)

小説が、最も幸せだったころ

ざっと調べたところ、『赤と黒』が書かれたのが1830年、『ゴリオ爺さん』が書かれたのが1835年、『嵐が丘』が書かれたのが1847年、『ファウスト』が書かれたのが1832年、『ボヴァリー夫人』が書かれたのが1857年と、短いスパンの中で各国で、これだけの傑作が生みだされている。

この頃が、小説というものの花の時代といっていいだろう。

極端にいえば、この頃の小説・詩・戯曲などだけを耽読しながら、一生を終えても全く後悔はないのだ。

スタンダールとフローベールの全作品を読んで(大して数は無いのだし)、あとは『人間喜劇』をゆっくり読みながら過ごすだけで、人生は十二分に楽しいだろう。

なので、まあ、こんなことを言ったら良くないのかもしれないが、ここで『赤と黒』の魅力を一つ一つ細かく述べていくのも、野暮といえばそうなのだ。

心理描写の機微だとか、動乱の歴史のその鮮明な捉え方だとか、

そんな情報をチマチマと得ているくらいなら、さっさと読めばよろしいというか。

面白いし、豊饒な読書体験に決まっているのだから。

間違いなく、天才の所業

翻訳も達者なのだろうが、叙述・描写・緩急のつけ方など、19世紀に書かれた小説にして、すでに完成されている。

スタンダールは、フランス文学の歴史の中でも、特に突出した天才肌の書き手であろう。

『赤と黒』で主人公ジュリヤン・ソレルは終盤に裁判で死刑宣告を受けるが、処刑の描写らしい描写は全くない。

「ジュリヤンの処刑後――」とあっさり省略されて、長い物語は終わる。

結局、創作というものは「やらしい」気持ちを排除すれば品格が上がるのだ。

スタンダールの赤と黒