新潮文庫・窪田啓作 訳・1963年7月刊行
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現実に引き戻す小説
19世紀までの小説は、それはそれですごく魅力的だけど、結局は「ドラマ」を描いたものでしかなかった。
現実は、ドラマではない。
現実は、物語ではない。
現実は、物理法則と「感覚」しかない。
『異邦人』は、物理法則と感覚を描いた小説であり、写実主義ではなく、写実そのものなのだ。
ヌーヴォー・ロマンの嚆矢?
『異邦人』刊行から10年位後に、ロブ=グリエが『消しゴム』を執筆する。
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そしてフランスでヌーヴォー・ロマンが始まる。
ヌーヴォー・ロマンの小説は、徹底して現実に対して「誠実」である。
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そういう心構えで読むと、まあ面白く読める。
「悪徳」より始末に負えない「無関心」
『時計じかけのオレンジ』と似たテイストを覚えたけど、あれはきちんと「悪徳」していたからなぁ。
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『異邦人』はほとんどのことに対して「無関心」であり、はたから見ると眉をしかめたくなるが、それがほとんど現実の感覚なのだということも、また理解できるのだ。
感覚を追究すること
20世紀文学は、現実や感覚というものを起点にして幅広くなっていった節があるのかな。
「可能性感覚」というのも実に興味深い概念だ。
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