角川文庫・本野亨一 訳・2007年3月電子版刊行
ある朝アパートで目覚めた銀行員Kは突然、逮捕される。正体不明の裁判所と罪を知らないKのはてしない問答
ある朝、アパートで目覚めた銀行員Kは突然、逮捕される。Kはなぜ逮捕されたのかまったく判らない。逮捕した裁判所もいっさい理由を説明しない。正体不明の裁判所と罪を知らないKのはてしない問答がつづくのだが……。「城」「アメリカ」と長編三部作をなす未完の傑作。(以上、株式会社KADOKAWA HPより)
とても誠実な小説
「歩くんじゃない。君は逮捕されたのだ。」
「それは説明出来ない。われわれの職掌外の事柄だ。部屋に戻って、静かにしていたまえ。とにかく手続はもう始まっているのだから、そのうちに話が判るようになるだろう。」
『変身』の批評をしたときに、「カフカは現実しか書かない」と書いた。
この『審判』でも、ますますそうだ。
カフカは現実しか書かない。
そして『審判』を読んで感じるのは、「現実」に対するカフカの「誠実さ」だ。
監視人も処刑人も、なんと職務に対して誠実であることだろう!
例外的に不誠実なのが、言うまでもなくヨーゼフ・Kであり、まこと稚児に接するように保護してあげなければならない。
カフカの小説の楽しみ方は、カフカが小説として叙述するその言葉たちに対する「誠実さ」と、客観的に見て取れてしまうその「慇懃無礼さ」とのギャップを、笑うことだろう。
ヨーゼフ・Kが処刑される、至極単純な理由
「子供以上にそうぞうしい男だ。いったい、どうしろと云うのだ? 身分証明書や拘留状の話を持ち出してわれわれ見張りの者と議論すれば、それで君の厄介な訴訟が簡単に片づく、とでも思っているのか?」
カフカは現実しか書かない。
そして、ヨーゼフ・Kの処刑理由は「書かれていない」。
つまり、極々明白なこととして、ヨーゼフ・Kの処刑理由は「現実のものではない」のだ。
処刑理由は、現実の中にはない。
ヨーゼフ・Kが処刑される理由は、現実の中にはない。
しかし、言うまでもなく、ヨーゼフ・Kが処刑されることは、現実である。
『審判』とは、処刑理由という現実に無いものに拘泥するヨーゼフ・Kを言い諭し、そして処刑する、その誠実な叙述で構成された小説である。
暗喩・隠喩で語るべきではない。
カフカの小説こそ、暗喩や隠喩で語るのは不適切だと思うのだ。
城とは何かとか、なぜ処刑されるのかとか、虫になる意味とか。
行き過ぎると陰謀論みたいな話になってしまうからね。
カフカは、ただひたすら、現実を小説にしたのだ。
カフカが小説にしたことは、誰でも、多かれ少なかれ、この苦い現実で体験しているではないか。

