光文社古典新訳文庫・粟飯原文子 訳・2013年12月刊行

全世界で1000万部のベストセラー

2013年3月に死去したナイジェリアの作家チヌア・アチェベ。アフリカの伝統的社会に生きる人々の姿、そしてヨーロッパの植民地支配が壊したものを痛烈に描いた彼の作品群は、その後の世界の作家たちに大きな影響を与えた。

古くからの呪術や慣習が根づく大地で、黙々と畑を耕し、獰猛に戦い、一代で名声と財産を築いた男オコンクウォ。しかし彼の誇りと、村の人々の生活を蝕み始めたのは、凶作でも戦争でもなく、新しい宗教の形で忍び寄る欧州の植民地支配だった。「アフリカ文学の父」の最高傑作。(以上、光文社古典新訳文庫HPより)

「偉大な小説」と呼ぶにふさわしい

「一族が集まるおりに、堂々とできない息子などいらん。いっそのこと、この手で絞め殺してくれるわ。そんな目で俺をじろじろ見て突っ立っていたら、アマディオラがお前の首をへし折るぞ」オコンクウォはそう毒づいた。

翻訳が達者なこともあるのだろうが、シンプルだが力強い文体が心地よい。

アフリカらしい文体といってはいけないのだろうが、素直にそう感じ、称賛できた。

見事な構成と演出で、普遍的な悲劇を描いていることはもちろんだが、社会論や文明論を説きたかったら、必ずこの小説を読むべきだと声高に叫びたくなるような、幾重にも考察のしがいのある作品だ。

それが「偉大な小説」と呼べる所以だ。

主人公オコンクウォは、ステレオタイプの、男尊女卑の、マッチョな思想の持ち主と捉えられがちだが、実際は全然そうは読めなかった。

知的で、内省的で、繊細で、臆病だ。

本質的に、弱い人間だと思えた。

咳払いをした男が前に寄っていって、鉈を振り上げると、オコンクウォは顔をそむけた。ドンと鈍い音が聞こえた。甕が落ち、砂地の上で割れた。「父さん、ぼく、殺される!」イケメフナがそう叫んで、駆け寄ってきた。オコンクウォは恐怖のあまり呆然となり、自ら鉈を抜いてイケメフナに切り付けた。臆病者と思われたくなかったのだ。

曇りなき眼で自ら考えよ

『崩れゆく絆』は、アフリカのとある村社会が、新しい宗教の形で忍び寄った、欧州の植民地支配にからめとられていく、という小説ではある。

オコンクウォが流刑の身にあった七年で、ウムオフィアはがらりと変化していた。教会がやって来て、多くの者を道に迷わせていた。生まれの卑しい者や賤民(せんみん)ならまだしも、立派な男でさえも入信していたのだ。

オコンクウォは悲嘆にくれた。単なる個人の悲しみなどではない。いままさに目の前で崩れゆき、ばらばらに壊れつつある一族を思って嘆いた。そして、かつてのウムオフィアの戦闘的な男たちを思って嘆いた―—男たちは、まったく不可解なほど、女々しく軟弱になってしまったのだ。

しかし、アフリカの部族社会や原始宗教、欧州文明や植民地支配、キリスト教など、『崩れゆく絆』はさまざまなレイヤーで構成されているが、作者であるアチェベの立ち位置は、どこにも傾いていないように感じられた。

『崩れゆく絆』はアフリカ文学では最も有名といえる小説らしいので、欧米の教育機関でも教材として数多く取り上げられてきたのだろうと推測できる。

これほど、ディベートをしたくなる小説も珍しいからだ。

まあ、ポリティカルなものを読み取れるからね。

ただまあ、アフリカが善くて欧州が悪いとか、その逆とか、そういう次元に収まるものではないことは、言うまでもない。

これほど、自分なりに考えることを喚起される小説も、そうそうない。

やはり「偉大な小説」なのだろう。

悲劇性の高さが際立つ

そして彼らは一本の木のもとにやって来た。その木からオコンクウォの体がぶらさがっていた。一行は、はたと立ち止まった。

曇りなき眼で、立ち位置を傾けずに読み進めるべきと、自分では思っているのだが、やはりオコンクウォとウムオフィア村が見舞われる悲劇性の高さに、胸を打たれない訳にはいかないのだ。

それは、実際はまったくそうではないのに、むしろ逆説的に、神話の世界の戦士が、あわれうち殺されていく様を見るような、泥臭いが、しかし崇高な、際立った悲劇性を読者に与えてくる。

シェイクスピアを読んでいるような気さえ覚えた。

アチェベがコンラッドの『闇の奥』を批判したことは有名であるが、特にコメントできることはない。

『闇の奥』もなかなか不穏で分かりづらい小説であるとは思う。

アチェベの崩れゆく絆