角川文庫・川島隆 訳・2022年2月刊行
平凡なサラリーマンが、ある朝、虫けらに。カフカ像を刷新する新訳と解説
「おれはどうなったんだ?」 平凡なサラリーマンのグレゴールはベッドの中で巨大な虫けらに姿を変えていた。変身の意味と理由が明かされることはなく、主人公の家族を巻き込んだ不条理な物語が展開していく――。最新のカフカ研究を踏まえた精緻でテンポよい新訳で贈る不朽の問題作。神話化されつづける作家の実像を、両親や恋人、労災保険局での仕事、ユダヤ人の出自、執筆の背景などから多面的に説き明かす、訳者解説を収録。(以上、株式会社KADOKAWA HPより)
カフカは現実しか書かない
カフカは現実しか書かないと思い込むといい。
それがカフカを最も正確に、深く読み込む鍵だ。
カフカの書くものは幻想小説ではないし、前衛小説でもない、おとぎ話でも、寓話でもない。
実存的でも、不条理でもないのだ。
カフカは現実しか書かない。
朝、起きたら虫けらになっていることも、突然に捕らえられ処刑されることも、一向に実務上の目的が達成できないことも、すべて現実に起きることを書いている。
カフカは現実しか書かない。
なので、カフカの書いたものを読んだ瞬間に、カフカが書いた現実世界に身を置くことになる。
現実を変容させたり、傷んだ現実に倦んだ人間に新しい現実を提供すること、それらを小説というもので不特定多数に伝染させること。
そんなことができた作家はカフカ以外にいなかった。
乱暴に言えば、カフカの小説さえあれば、他の多くの小説は不要である。
(あり得ないとは思うが)ドストエフスキーが忘れられても、カフカはこの先も読まれ続けるだろう。
オフビートな君に
カフカは『変身』はもちろん、『審判』でも『城』でも、現実を、常識を書いているのだが、それを読むときの状況としては、そこはやはりオフビートな時が良い。
一番いいのは、社会人に成りたてで、世のあらゆる理不尽が己に降りかかってきていると当然に感じ得る状況に、カフカを読むといい。
社会人になって少しでも苦労すれば、カフカから文学の本質を読み取れるだろう。

