岩波文庫・朱牟田夏雄 訳・1969年8月~10月刊行
プルーストやジョイス等の“意識の流れ派”の源流とも先駆的作品ともいわれる本書だが,内容・形式ともに奇抜そのもので,話しは劈頭から脱線また脱線,独特の告白体を駆使して目まぐるしく移り変る連想の流れは,いつか一種不思議なユーモアの世界をつくり出し,我々はただ流れに身を任せ漂うばかりである.一七六〇―七年.
究極の「遠回り小説」
「熱狂というものは、本当の学問の足りなさに比例するものです。」
難解な小説、読み解きがたい小説というものはやはりあって、正直、別にそんなものは無理して読まなくていいのだが、押し寄せてくる読み解きにくさの果ての、一種哲学的な感慨というものを味わえることもある。
私にとってはゴンブローヴィッチの『フェルディドゥルケ』と、このローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』が、そういう小説である。
正直、ほとんど読みこなせなかった……。
別にわざと分かりにくく書いているとか、難しい単語が羅列されているというわけではない。
むしろ、文章自体は読みやすい方だろう。
しかし、読んでいる自分が一体どこに立っているのか、分からなくなってくるのだ。
これほど筋の把握し難い小説も珍しい。
隣近所の家で赤ん坊が生まれたと聞いたのでお祝いに行こうと思い、世界一周旅行をした後でその家に寄った。
……たとえが下手で申し訳ないが、そんな読書体験である。
結論・本質・効率……そんなものをあざ笑う
現代で生きていて、特に仕事をしていると、結論から話せだとか、簡潔明瞭に説明しろだとか、効率が悪いことは悪だとか、本質を捉えて展開しろだとか、そういった言説で埋め尽くされている。
なるほど、まったく正論である。
別に私も、効率が悪くて愚鈍なものが好きな訳ではない。
ただ、まあ、そういった考え方やメソッドが人生を形作っている訳ではあるまい。
仕事にしろ人付き合いにしろ、さして重要とは思えず雑然としたものが案外重要であり、そういうものに楽しみを覚えたりもするものだ。
「人生の本質を簡潔明瞭に、効率よく説明せよ」と言われれば「人生とは無駄で雑なものです」という回答が最適解なのではないか。
トリストラム・シャンディが、そう「意見」しているようにも、ふと思えた。

